解散とか脳死とか

通常国会、61件が廃案に 郵政解散のあおりで

http://www.asahi.com/politics/update/0809/015.html
いつの間にか「郵政解散」ってことになっちゃってますが,そんなことはさておき。

与党内の調整がつかないまま2案が8日に提出された臓器移植法改正案も廃案になった。

提出されてたんだ!と今頃知るようじゃダメですかそうですか。(>_<)



医学の勉強を始めるまで,医者の仕事は生をつなげることと単純に信じていた。法医学の講義で死亡診断書を書けるのは医師だけ*1であると知った。これは医学を学んで知ったいくつかの,その最たるものの一つだったと思う。
通常,人の死は,呼吸停止・心拍停止・瞳孔散大*2で判定される。人工呼吸や心臓マッサージを行うことを一般に「蘇生」というが,これを続ける限り,呼吸と心拍は持続する。多くの場合,死はそれを中止することによって判定され,告げられる。だが,これはつまり,生と死に境界線はないということだし,境界線のないところに境界を引くのは医者であるということだ。
医者は患者を助けるのが仕事だと,単純に考えていた自分にとって,そのことに気づいた瞬間は衝撃だった。助からなそうな患者を「助けない」と決めることが死なのであって,助けないこともまた医者の仕事なのだ。
医学的な意味での死とは,ある個体の状態がある基準を超えているという判断に過ぎない。その基準を決めるのは,多分医学ではない。それは死を死と納得できるかという,人々の「思い」の医学的表現だからだ。この国には今,その基準が2つある。

*1:特定の場合には歯科医師にも可能。

*2:これを「死の三徴候」という。