Time after Time

幻想の断片 あれから20年。へのコメントです。
ネットで語り継がれる機長の言葉、事故の記憶
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0508/12/news018.html

 年月が過ぎたとはいえ、いまWeb上で検索すれば事故の情報をいくらでも収集できる。ネット上では、当時の事件を報じる新聞画像、墜落現場の写真などが見つかる。たった4人の生存者のうちの1人による証言なども読むことができる。

 そんな中に、操縦席の会話を記録したとされるボイスレコーダーの音声を公開しているサイトがある。異常発生から墜落まで、約30分の音声を短くまとめて再生したもので、Webでは事故機の飛行ルートも重ねて表示している。

他にも様々なことがあったのだし,その中にはもっと身近な「事件」がたくさんあった*1はずなのに,それらよりも更に「あの日」は,ついこの間のことのように思える。多分,誰もが経験する「その時期」を代表する記憶だからなのだろう。私はそれを見続けられる自分のグロテスクさに落ち込んだ。おそらく二度とは見ることはないだろう。誰にとっても,ご覧になるにはそれなりの「覚悟」が必要なものだと思うし,だからだろうか?それらの「サイト」の多くは,現在閲覧不可になっている。
pya!には,Flashの感想あるいはそれが閲覧できなくなったことについての数々の批判的なコメントが寄せられている*2が,それらのコメントを読んで何より驚いたのは,「当時生まれていなかった」あるいは「事件のことは記憶にない」という記述が,とても多かったことである。
私の「その日」は多分,永久に薄れまい。だが,事件は少しずつ,だが確実に「風化」する。その迷走する飛行機の行く先を,彼らは知らなかったかもしれない。むしろ知らなければ知らないだけ,そのFlashは強力な「何か」を,彼らと彼らの時代に残しただろう。残されたものは決して美しくはない,だけど貴重なものだと信じる。
彼らの「その日」は,おそらく2001年9月11日か,あるいは2005年4月25日*3となるのだろう。今から20年後,9月11日あるいは4月25日,やはり「それ」を知るものと知らないものが,こうして出会うのだろう。できれば,「それ」を知らない人たちの「その日」は,誰かの死の記憶ではなく,むしろ誰かの幸せにつながるできごとであって欲しいと思う。

*1:何しろあの阪神大震災を,私は京都で経験したのだ!

*2:他サイトの情報も書き込まれているが,ここにURLは示さない。

*3:この日何があったか,覚えておられるだろうか?