ヤツメウナギはおっぱい星人を夢に見るか?

最初にお断りしておく。タイトルはアレだが以下はと〜ってもまじめな文章である。「18x」を期待して検索で来られた方にはそのつもりで。

さて,「気持ち悪い」と巷間人気者らしいヤツメウナギであるが,その気持ち悪さについて解剖学的に考察してみようというのが,今回の趣旨である。
横から見た彼らはそこまでグロテスクではない*1。その「気持ち悪さ」を象徴する外見的特徴というと,やはりその口*2ということになるのだろう。その口を見てみると,なるほど気持ち悪い。だが,解剖学的にはこの口こそ彼らの特徴をもっともよく顕している部分である。彼らを称して無顎類という。「アゴ」がない彼らの口には,「上下」が存在しない。だからその口は丸くなる*3ワケで,彼らにとって口を閉じることはすぼめることと同義である。この口に顎骨を入れれば,ほぼサメの顎*4であるが,サメの顎は「恐ろしい」けど,気持ち悪くはない…ですよね?
こうして我々は,脊椎動物を代表する運動の一つが「咀嚼」であることを理解できる。ヤツメやその同類にとって,食べ物と飲み物の区別は本質的に無意味である。どんなに大きな獲物であれ,食うには丸飲みにするより他にない*5のだ。当時も今も,海にはエビがいてカニがいた。彼らを食いたいと思うのは,何も人間だけではない。だが,彼らとて食われたくはないから,その身体は硬いキチン質武装されている*6。これを攻略するのに口を突き出し,噛み砕くというのは,非常に有効な戦法であったと言えよう。「食べ物」と「飲み物」という概念がこうして生まれた。脊椎動物への進化は食事機能の進化でもあった*7のである。
顎骨と咀嚼を得た脊椎動物は,長らく「噛む」ことでその食を得てきた。だが,ヤツメウナギの口はやがて復権の時代を迎えることになる。噛めない脊椎動物‐哺乳類‐の登場である。
生まれたての赤子は歯を持たない。当然のことと思われるかもしれないが,卵から生まれた動物には,その瞬間から自分の足と歯で生きていかねばならないので,こんなことはほとんど考えられないことである。だが,哺乳類はあえてそれをする。その最初の食事が「母乳」であるからで,母親を噛んで殺してしまうことは,自らの生存を危うくする。母親はどうあっても「飲み物」でなければならない。
しかし,顎と引き替えに,我々は口をすぼめる(丸く動かす)ことができなくなってしまっていた。何事であれ,一度失ったものを取り戻すことは,何かを得ること以上に大変なことである。それをしようとすれば,顎の先に新たに筋肉を作るしかない*8。こうして我々は「表情筋」を持つこととなった。表情筋というけれど,我々は決して感情表現のためにそれを持ったわけではない*9。作ってみたらたまたまそういうことにも使えたということに過ぎないのである。

突くために角ができたのではない。角があるから突くのだ

いずれにせよ,こうして我々は口を「すぼめる」という機能を取り戻すことができた。それは赤子にとっては生きながらえる手段であり,長じては相手から何かを得たいという欲求の意思表示*10である。我々は時にコミュニケーションの一手段として,口をすぼめて「みせる」。それは大抵の場合とても「大人げない」。それは,自らの口を生まれたての状態に戻してみせることであるし,更にはヤツメウナギの口に戻してみせることでもある。ヤツメウナギは口をすぼめて生きている。だが,その口には無数の歯を持っている。それは何かをもらおうとする口ではない。絶えず何かを得よう,奪い取ろうとする口*11である。
今も昔も,生きることは奪うことである。

相手に求め続けてゆくものが恋 奪うのが恋
与え続けてゆくものが愛 変わらぬ愛

さだまさし恋愛症候群
哺乳類以外にも,子孫を守ろうとするものはいる。だが,与えようとして与えられるだけの構造を,さらには求めて受け容れられる構造も,彼らは持ち合わせていない。与えようとして与えられ,求めて受け容れられて始めて,与え続けることも求め続けることも意味を持つ。愛とはとても哺乳類的な,今時の感情である。
Reference
アゴも繰り返しパターンから ヤツメウナギと私:倉谷 滋

*1:実際ヤツメの串焼きなるものを食したこともあるが,黒焼きになった彼らの姿はまさしく「ちくわ」である。彼らには背骨がないので「おろす」必要がない。

*2:後述するように,彼らに「顔」は存在しない。

*3:ので,無顎類を円口類とも呼ぶ。

*4:英語で顎はjawという。したがって,JAWSとは「上顎と下顎」に他ならない。

*5:逆に獲物の周囲は水だらけなので,飲まずに食うこともできるはずがない。同様に,我々は空気を入れずに食べることはできないから,食事にゲップは付き物である。

*6:全身硬くては動くに動けないから,人様に折られて身をほじくられるリスクは覚悟の上で,彼らの身体には所々柔らかい部分(我々の関節に相当)が残っている。こうして生まれたのが「外骨格」であり,「節足動物」である。我らと彼らは似ても似つかぬように見えるが,要は身体の中を硬くするか外を硬くするかというのが,決定的な運命の分かれ道であったわけである。

*7:陸に上がって空気も口から食べなければならなくなった両生類以上では,気道と食道が分離される。「嚥下」機能の発生である。

*8:付け加えれば,この筋肉はただ口を閉じるだけではなく,その上で母乳を「吸引」しなければならない。骨を動かしてはいけないのは当然であるが,表面だけでなく口腔そのものを動かさなければならないということは,更に重要である。表情筋は「皮筋」に分類されるが,あくまでも「骨を動かさない」ということであって,決して皮膚だけを動かしているのではない。

*9:実際,ヒトと限らずどんな哺乳類にも表情筋は存在する。カモノハシのくちばしを思い出せば想像できるように,単孔類のみがその例外であるが,ここで彼らが「卵」を産むことに気づけば,その理由が理解できる。

*10:時には相手に不満だという意思表示であったりするが,それは相手の行動が自分の欲求にも何がしか関係していることの裏返しであろう。

*11:彼らは相手に食いつき吸血することで今日まで生き続けてきた。