一人はみんなのために みんなは一人のために

ちりん先生のブログにコメントしたところ,

# chirin2 『突っ込んでTBしてください。』

と返していただいた。元記事はコチラ↓。
[PET検査](上) がん未検出85%
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/saisin/20060306ik0d.htm
いろいろ突っ込みどころはあるのだけど,今回はちりん先生のところに書いたように,

現時点では、どんな検査を受ければよいのか。厚生労働省研究班の調査では、がんの死亡率を減らす効果があるとされる検診は▽乳がんのエックス線検査(マンモグラフィー)▽大腸がんの便検査▽子宮頸がんの細胞診▽胃がんバリウム検査▽肝がんの肝炎ウイルス検査――がある。

という一節を考えてみることにする。この一節,確かに間違ったことは言っていないのだけど,「がんの検査」だと言われて「なるほどそうだな」と直感的に思えるのは,おそらく「子宮頸がんの細胞診」と「胃がんバリウム検査*1」くらいではないだろうか?むしろ「あんまり馴染みがない検査が多いなぁ」という感想を持たれる方も多いと思う。
実はその馴染みのなさこそが重要なキーである。例として,おそらく一番「がんの検査」として違和感があるであろう,「肝がんの肝炎ウイルス検査」を考えてみよう。なぜがんの検査に「ウイルス」なのだろうか?国立がんセンターによれば

国立がんセンター中央病院で、B型、C型肝炎ウイルスの検査が可能になった1990年以降の統計では、肝がんの手術を受けた方のうち、85%はB型またはC型の肝炎ウイルスに感染していました。

これらB型、C型肝炎ウイルスが、正常肝細胞に作用して突然変異をおこさせ、がん化されるものと推定されています。したがって、我が国では肝炎ウイルスに感染した人が肝がんになりやすい「肝がんの高危険群」となります。

という。なるほど,肝炎ウイルスは肝がんと深い関係があるらしい。だが,肝がんの患者に肝炎がよくあるとしても,肝炎の患者に肝がんが多いかどうかは,それだけではわからない*2。実際,国立感染症研究所感染情報センターによれば

 HCV感染に伴って急性肝炎を発症した後、30〜40%ではウイルスが検出されなくなり、肝機能が正常化するが、残りの60〜70%はHCVキャリアになり、多くの場合、急性肝炎からそのまま慢性肝炎へ移行する。慢性肝炎から自然寛解する確率は0.2%と非常に稀で、10〜16%の症例は初感染から平均20年の経過で肝硬変に移行する。肝硬変の症例は、年率5%以上と高率に 肝細胞癌を発症する。40歳のHCVキャリアの人々を70歳まで適切な治療を行わずに放置した 場合、20〜25%が肝細胞癌に進展すると予測される。

である。つまり,C型肝炎ウイルスが検出された人の75〜80%は,少なくとも70歳までは肝がんになることはない*3。そして,残念なことだが,

 一般に、IFNによってHCVが排除されるのは30%程度、リバビリンとの併用療法の場合で約40%と言われている。しかしながら、IFN療法でウイルスを排除できなかった場合でも、肝炎の 進行を遅らせ、肝癌の発生を抑制、遅延させる効果を示すこともある。
また、IFN、リバビリン投与が無効で、ALTなどの肝酵素値が正常範囲を超えた高値の場合には、抗炎症療法(肝庇護療法)によって肝細胞の損傷や肝臓の繊維化を抑えることで、肝疾患の進行を防ぐ治療が行われる。

というのが今の医学の現実である。だから60%の患者にとって,ウイルス検査は「肝がんにならない」ための検査ではない。「肝がんになるのを遅らせる」ための検査である*4
結局のところ,だから検査を受けることで肝がんから70歳まで逃れられる人は,ウイルスが検出された人の8〜10%*5に過ぎない。ウイルスが見つかったことで肝がんを予防できる人が10人に1人であるにも関わらず,「がんの死亡率を減らす効果があるとされる」ということは,すなわちそれほどに「ウイルスを持った人が多い」ということ*6に他ならない。実際,

 我が国のHCV感染者数は150万人以上と推定されている。全国の日赤血液センターにおける 初回献血者のデータに基づいて、2000年時点の年齢に換算して集計したHCV抗体陽性率は、 16〜19歳で0.13%、20〜29歳で0.21%、30〜39歳で0.77%、40〜49歳で1.28%、50〜59歳で 1.80%、60〜69歳で3.38%である。HCV抗体陽性者の7割がHCV持続感染者(HCVキャリア) であるとすると、15〜69歳までの年齢層の中で100万人近い人々が、HCVに感染していることを 知らずに生活していることになる。

ので,40歳以上の人を対象に検査すれば,実に100人に1人以上にウイルスが検出されることになる。
こうしてウイルス検査は1000人に1人の肝がんによる死を防ぐ。だが逆に言えば,ウイルス検査は1000人検査して初めて,1人を肝がんから助けられる検査である。患者自身はもちろん,その患者を救おうとする医者の感覚とも,そこには自ずとずれが生じるだろう。
あなたがたまたま何かお腹の病気になって腹部CTを撮ったとしよう。予期せずあなたの肝臓に「できもの」があることがわかったとする。あなたがウイルスを持っていたとしても,あなたのできものが「がん」であるかどうかを知るためには,せいぜい「手がかり」でしかない*7。その意味では,ウイルス検査はあなたの救いではない。だが同時に,ウイルス検査は1000人に1人の誰かを,確実に救っているのだ。
一人一人の患者のために医学があるように,千人のための医学がある。あなたが今どんなに健康であっても,医学も医療も,決してあなたから遠い存在ではない。がん検診があなたのための医療でないとも,決して言えない。あなたも私も,千人の一人だ。今も,これからも。

References

  1. ポジトロンCT(PET)検査
  2. PETのがん検診に関する新聞記事に対する国立がんセンターの見解について
  3. 健診・検診の経済的効果

*1:バリウム検査という言葉は広く用いられているが,バリウム自体は胃のヒダを見やすくするための補助に過ぎず,バリウムが胃に何かするワケではない。胃をX線で見ることが検査の本質なので,医学的には胃透視検査と呼んでいる。

*2:必要条件≠十分条件

*3:だから検査する必要がないと言っているのではない。肝硬変自体も死につながる疾患なので,決して肝がんだけが問題なのではない。

*4:更に言えば,C型肝炎ウイルスが検出されたとしても,その人がどちらになるかは結果論でしか分からない。

*5:肝がんを発症する確率*肝炎が根治する確率=20〜25%*40%

*6:これはこれで非常に大きな問題だが,大きすぎるので今回は触れないことにする。

*7:だから検査する必要がないと言っているのではない。手術することになれば感染症の検査は当然必要であるし,手術しないにしても,患者が肝炎ウイルスを持っているかどうかは,文字通りその人の一生に関わる問題である。