三つ目がとおる道

コメント欄で予告したとおり,「眼が2つである理由」について考察を試みる。だが,その前に「必要性」と「必然性」についての,若干の補足から始めることにしたい。
「必然的だが必要でない構造」の典型的な例として,ヒトの女性生殖器系が挙げられるだろう。ヒトは通常1回に1人の子しか出産しないし,出産しないように進化している*1。そうであれば,乳腺も卵巣も1つでよいはずであるが,生物は「1つでよい」からといって,簡単に既に存在する構造をなくしたりはしない。これが形態における必然である。
もちろん逆に,必要性が構造を決定する場合もある。ヒトも含めて,魚類から哺乳類まで卵巣は通常2つであるが,鳥類には卵巣が1つしかない。彼らにも精巣は2つあるから,鳥には卵がそれだけ重かったということだろう。これは飛ぶために鳥類がとった「必要な」適応に他ならない。だが,だからと言ってペンギンやダチョウの卵巣が2つになることはない。失われたものは戻ってこないのもまた進化の法則であることを以前に述べた。彼らも飛ぶ鳥の子孫である限り,1つの卵巣を2つにすることはできない。彼らや鳥から進化したあらゆる動物の卵巣は,これからも「必然的に」1つであり続けるだろう。
さて,では改めて眼について考えてみよう。眼が2つあることが立体視のために「必要」であることはよく知られているので,ここでは

*1:たとえばヒトの子宮はほば楕円形であるが,マウスなど多くの哺乳類の子宮はV字型である。これを「双角子宮」と呼び,ヒトでも先天異常として存在する。複数の胎児を身ごもるマウスでは好都合な構造であるが,ヒトでは不妊や早産の原因となることがある。

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