医学教育における医局制度の功罪

学生時代からお世話になっている医学教育学の師匠が,友人の学生達の為に一席設けて下さることになり,小生も同席させていただいた。その中で,ある医学生から,
「大学がよい教育をしていい医者を作ることは,大学の利益にならないのか?そのようなシステムが存在する国はあるのか?」
という趣旨の質問があった。
師匠の答えは,公開してよいか確認していないのでここには記さないが,それを受けた私のコメントを,以下簡潔に書き留めておく。冒頭の発言は,学生にはかなり意外に響いたらしいことを付記する。



日本は,いい医者を作ることが大学の利益になるシステムが,世界一確立している国である。
なぜなら,日本の医学部には「医局」というものがある。特に古い大学では,卒業生の大半が出身大学の何らかの科の医局に入局することが半ば当然視されてきた。
医局の立場からすると,学生は将来の戦力であり,卒前教育はいい医者を集め,医局の価値を高めるための投資である。過去百年に渡って,医局というモノを通して,卒前教育と卒後教育は一貫していた。
しかしながら,ここで問題になるのは「どんな医者がいい医者なのか」あるいは「誰にとっていい医者なのか」ということである。上記のような体制の中では,「患者にとっていい医者」はもちろん,「大学にとっていい医者」すらも,養成される保証がない。あくまでも「医局にとっていい医者」を養成するプロセスである。それが医局以外にとってもいい医者であるかは,誰からも検証されない。このことが本質的な問題だと考える。
近年,研修義務化やマッチングの導入によって,医師としての最初のキャリアを大学外に求める学生が大幅に増えている。これらの施策は,もちろん医師の質の向上を求める社会的な声に応えたものであるが,医局制度の撤廃を目指す,様々な医療政策・教育政策の一環でもある。医学教育の世界では,ここ数年「卒前教育と卒後教育の連携」が最大のテーマの一つになっているが,その背景に上記のような事情があることも,学生の内に知っておいて損はない。

あえて付け加えておくが,私は決して医局制度*1を擁護したいわけでも,弁護したいわけでもない。卒業してすぐこの道に入ったので,「医局に入局する」というプロセスを経ていないし,経たくないからこの道に入ったという側面もある。
ただ,どんな制度であっても,それが成立し続いてきたからにはそれなりの背景があるし,メリットもあったに違いない。よりメリットが多くデメリットが少ないモノを構築する作業なしには,よくなるものもよくならない。その為には否定しようとするモノでも,あえてメリットを挙げてみなければならないのではないか?という疑問があるのみである。

*1:「制度」といっているが,医局は法人でも団体でもない。医者個人個人の帰属意識の総和に過ぎない。しかし,それは学位と人事を握る,一種のギルドとして,各科各教室単位で組織化され実際運営されている。そしてこのギルドは,医師が大学で養成されるようになった明治以来,あらゆる医科大学・医学部において,例外なく存在してきたのである。