職業教育と高等教育の間

常日頃愛読させて頂いている,Q-tip先生の「綿棒の呟き」の「Mushrooming看護大学」に質問をさせて頂いたところ,「看護教員養成課程」で,非常に詳細かつ勇気あるご回答を頂いた。
匿名性は実に貴重だ。私が仮にQ-tip先生を個人的に存じ上げていたとしても,このようなご質問は遠慮させて頂くであろうし,お返事を頂けるとしても,個人的なものに留まるだろう。「匿名でないと言えない意見など意見ではない」という考えもあるだろうし,私も基本的にはその立場でいたいと思うのだが,それでもやっぱり言えないことはある。正直学生であった頃の自分が羨ましい。学生は学生であるが故に発言する権利がある(と少なくとも私は信じている)が,社会人になってみると,発言する権利を持つためには,立場と結果を必要とすることを思い知らされる。
閑話休題。以下は感想です。



明治から戦前まで,医学教育は大学と専門学校*1の二本立てであった*2。そういう意味では今の看護教育に少し似たところがあると思う。
実際,この二本立て構造は今も一部残っている。「医学博士」は,医学部(医学研究科)大学院修了生に対して与えられる学位であるが,医師法第11条に,

医師国家試験は、左の各号の一に該当する者でなければ、これを受けることができない。
1. 学校教育法(昭和22年法律第26号)に基づく大学(以下単に「大学」という。)において、医学の正規の課程を修めて卒業した者
(2号以下略)

とある。すなわち,大学医学部卒ならぬ医学博士には,医師国家試験受験資格がない*3
さて,歴史的なことはさておき,ともあれ現在では医学教育は全て大学教育であり,全ての大学医学部は大学院博士課程を有している。「ある人間に博士と呼ばれる資格があるかを決定できる*4のは博士だけである」というのが大学の掟であって,極めて稀な例外を除いて,基本的に教授は博士であることが必要条件とされている。
このこと自体に異存はない。しかしながら,博士号は研究,もっと具体的には論文に対して与えられるものである。言い換えれば,自力で研究をやり遂げ論文にまとめる能力があることを大学が保証する,一種の「資格」である*5
大学教員に必要なのは,研究能力か教育能力か?答えは当然「両方」である*6。しかしながら,教育能力は評価しにくい*7。したがって,医学部に限らず一般に大学では「研究ができる者は教育もできる」という前提に立って教授選考などの人事が行われるのが通例である。
まぁそれも事実に近いとしよう。何かに抜きん出た者は,その経験を持たない者よりは,あらゆることに抜きん出る可能性が高いだろう。また,研究と教育は全く無縁でもない*8。だが人は誰もスーパーマンではない。全てを最大限にこなすよりは,どれかに傾注する選択を迫られがちである。選択しなければならないとすれば,評価されるモノを選ぶのが当然であろう。
さて,では教育は一切評価できないか?少なくとも,看護でいえば教員養成課程,解剖学でいえば死体解剖資格。臨床でいえば(現状では全て学会資格であり法的に規定されたものではないが)指導医。これらは本来個人個人の教育能力を保証するための,れっきとした資格である*9。確かに教育能力は研究能力と比べて評価しにくいだろう。しかし,それは評価できるものまで評価しないでよい理由にはならない。研究がそうであるように,教育にも十分条件はない。だが教育機関である大学,とりわけ職業教育(資格教育!)の側面を有する医学・看護教育にあっては,必要条件を満たさない教育・教員が許されてよいはずはない。

*1:医学専門学校,略して医専という。

*2:例えば野口英世は医師であるが,学士(大卒)ではなかった。だからこそ,彼は日本での学歴があまり意味をなさない米国に航ったのだ。

*3:詳細はザウエリズムの「テーマ日記3〜医学博士」を参照されたい。

*4:これを学位審査権という。

*5:ザウエル先生がいみじくも指摘されたように,したがって博士号は本来,それを取得した医師の臨床能力を保証するものではない。むしろ「医師としてのキャリアの中に,臨床が100%ではない数年が存在した」ことを証明するものである。しかし大学院を持つ医学部としては,院生が入学し学位を取得することは,存在意義に関わる決定的に重要な要件である。結果,医局制度において博士号は人事と分かちがたく結合し,臨床医としてのキャリアにも大きな意味を持つに至ったことは,前回簡単に述べた通りである。

*6:内科など臨床系の教室であれば,当然「臨床も」である。

*7:例えば「学生による授業アンケートの結果が高い」ということは,(予備校はともかく大学では)必ずしも「いい授業をしている」事の証明にはならない。その理由はいろいろあるが,最も端的には「試験(評価)を甘くするとアンケートの結果が上昇する」と,一般に信じられているからである。もっとも,大学教育一般は不勉強にして知らないが,医学教育においては「関係がない」とする報告が多い。

*8:なぜなら,何がどこまで既にわかっているか知らなければ,未知のことを研究できるはずがないのだから。もっとも,専門分化が激しくなれば,研究者の知識もまた狭く深くなるのが自明の理である。研究者だから教育するべき分野全てに一通り知識があるとは,もはや肉眼解剖学においてすら言いにくい。

*9:死体解剖資格は本来教育のための資格ではないが,教育経験の証明ではある。