Faculty Development (FD)

最近「綿棒の呟き」の感想サイトになっているが,「大学教員の会話」エントリーのコメント欄が賑やかだ。
手元の医学医療教育用語辞典によると,
> ファカルティ ディベロップメントの適切な和訳はまだない。
とある。だからまぁ「ファカルティ ディベロップメントの講習」という言葉は,分かってもらえるかどうかはさておき,そう書かざるを得ないということになるのだろう。
では何故和訳がないのか?あるいは言い換えられないのか?引き続き引用すると,
> 本来,facultyは「能力・才能」のことであり,転じて大学の「学部」を意味する。つまりfacultyには大学の構成人員から機構,機能のすべてが含まれる。「大学教員の能力開発」だけなら,staff development,teacher trainingであり,これはファカルティ ディベロップメントの活動の1つに過ぎない。
からである*1
したがって,FDは本来 「大学(学部)改善に繋がるものすべて」を指すのであって,何をするか,誰がするかは問題ではない。直接教育と関係なくても,例えば「学食の充実」だって,広い意味ではFDだ。
教員にとってFDとは「大学の改善のためにできることを考え,実行する」ことである。自分自身がいい教育をすることは重要ではあるが,あくまでもそのうちの一つ*2である。
おそらく,本来の意味でのFDを実現するためには,上記のような発想を教員自身が持つことがまず必要であろう。だが,このようなパラダイムの転換は簡単ではない。しかも,確固たる理念と能力を持って,真剣に教育と研究に当たられてきた先生であればあるほど難しい。FDという言葉が一人歩きしてしまうと,教員は「大学の改善=教員の改善」と限定して,FDを理解してしまうのではないか?そうなると,かえって教員は大学やそのカリキュラムを顧みなくなってしまうかもしれない。これは「医療レベルの向上のためには,医者がもっと頑張ればよい」というのと同種の発想だ!
そんな危惧に至って,「FDという言葉を簡単に使うのは止めよう」と自戒した次第である。

*1:cf. mishika先生のコメント。

*2:自分自身も自分の講義も,入学から卒業までのカリキュラム全体から見れば,言い換えれば一人の学生から見れば,あくまでもそのコマの一つでしかないのだから。