オッパイは女性のものか?

遅ればせながらkoneko04さんのご質問に答えてみる。

宇宙人も目が二つ説の延長のような質問になりますが、男性にも必然性も必要性もない乳首があるのはなぜか解説してください♪

せっかくネタをいただいておいていきなりダメ出しから入るのは失礼だが,解剖学も科学だから,何としても法則を追求せねばならない。法則とは要するに「そのかたちになる必然性」だから,「必然性も必要性もない」では仕事にならぬ。というか,この質問にも答えようがない。
確かに今までその必然性を,多くの場合進化の過程に求めてきたワケだが,それは数ある立場見方の一つであって,必ずしもそれしかないというワケではない。特に,乳首(乳頭)というより乳腺は哺乳類にしか存在しないし,特に女性の豊満な乳房は,ヒトに特有なものである。だから,ここでは進化(系統発生)からではなく,ヒトのでき方(個体発生)から考えてみることにする。ヒトの発生だから,医師・医学生には教科書っぽ過ぎて楽しくないかもしれないけど,まぁたまにはそれもアリということにしておこう…しておいて下さい。m(__)m
ではまず乳腺の発生から。乳腺は皮膚の汗腺が発達したもので,その意味でワキガと母乳は限りなく近い親戚である。その発生は第4週*1に始まり,まず脇*2から股*3までの線上に,乳腺堤という皮膚の盛り上がったスジができる。このスジは発生6週までに消えてしまうのだが,胸に残った部分は逆に発達し,乳腺となる*4
ところがその6週の胚子*5であるが,その外見にも内臓にも,男女の差は全くない。7週に至ってY染色体上のSRY*6遺伝子からTDF*7というものが作られることで,ようやく性の分化が始まることになる。
このTDFが何をするのかというのが実のところあまりよくわかっていないらしいのだが,とにかくこれがないと男性ホルモン(テストステロン)を分泌する細胞*8が精巣(になるはずのもの)にできてこない。そうなると,この細胞が存在しない精巣(になるはずのもの)は,卵巣になる*9。ともあれ,この時期もその後もTDFは乳腺に何もしないし,男性ホルモンも乳腺に何もしない*10
乳腺が発達するのは女性ホルモン(エストロゲン)の作用によるので,男女の違いが現れるには,その分泌量に男女差ができるまで,すなわち思春期*11を待たねばならない。それまでにヒトの体に存在するものは,小さくなることはあっても失われることはないというワケ。ご理解いただけましたでしょうか,konekoさん?

*1:臨床的には妊娠日数を月経初日から数えるが,発生学では発生日数を受精から数える。月経から排卵までの日数分のずれが生じるが,28日周期だと14日間となるので,発生6週といったら妊娠8週ということになる。以下同様。

*2:医学用語で言うなら腋窩

*3:医学用語で言うなら鼠径。

*4:メスの哺乳類をペットとして飼っておられる方なら容易に納得していただけると思うが,だから乳腺は2個と限ったものでもないし,胸と限ったものでもない。ヒトでも過剰乳腺・過剰乳頭は男女問わずその頻度は1%程度と,決して稀なものではない。

*5:発生12週未満では,外見も臓器もまだヒトの形をなしていないので,胎児といわず胚子という。

*6:Sex determininig region of Y chromosome

*7:Testic-determining factor

*8:Leydig cell

*9:つまり,Y染色体があってもSRY遺伝子がなければからだは女性になるし,SRY遺伝子があってもTDFが作られなければ,やはり女性になる。要はヒトの体は基本的に女性になるように作られているということだ。だから,社会的のみならず医学的にも,染色体だけで性を決定することはできない。

*10:少なくとも形態上は。もし何かするのだったら,産まれた時点で男女の乳腺には何かしら違いがあるはずだ。娘を風呂に入れるという父性獲得の手段を,自然は保証してくれている。

*11:数ある第2次性徴の中で,乳腺の発育が一番早く現れる。