エラからアゴへと,そして耳へと

まず昨日の話を要約してみよう。

  1. アゴはエラ(第1咽頭弓)が口の周りを囲むことで作られたモノである。
  2. 第1鰓弓の骨は顎骨となり,第2鰓弓の骨はアブミ骨となった。
  3. 哺乳類ではそれまでの顎骨がツチ骨とキヌタ骨となった。ツチ-キヌタ関節は顎関節が姿を変えたモノである。
  4. では我々の顎関節はどこからできたのだろうか?

さて,私は何度も,「何もないところから構造は生まれない」と主張してきた。だが,ここでその主張はついに破綻する。もはや顎関節を作れるような骨はどこにもない。かくして我々は最後の手段に出る。骨なき下顎*1皮下に新しく骨を作る*2しか,残された道はない。
こうしてできた「模造品」こそ,我々の下顎骨に他ならない*3
だが残念なことに,これで危機が去ったわけではない。下顎骨の上すなわち皮下に,上顎骨はいないのだ。下顎骨はどこと関節すればよいのだろう?ここで我々はまたしても荒技に出る。上顎骨は口蓋の形成と引き替えに頭蓋に固定し,側頭骨*4との顎関節を新たに作るのだ。
純粋に口を開けるという点から言えば,これはもちろん不利な選択である。もはや我々は上顎骨を動かす手段を持たないから,ワニのように大きく口を開くことなど,もはや望むべくもない*5。だが,それに勝るメリットを,我々は手に入れた。我々は口を上下に開けることができなくなった代わりに,それを前後左右にずらすことができるようになった。つまり,わざとかみ合わせをずらすことができるようになったのだ*6。しかし更に重要なのは,口蓋の形成,つまり鼻腔と口腔が仕切られるということである。この仕切りがなければ,鼻のアナ(外鼻孔)が閉じない限り,常に咽頭は大気と触れていることになる。そんな状況で乳を吸うのは,言ってみればふたを開けっ放しで掃除機のスイッチを入れるようなモノだ。
ようやくこの「長い長いアゴの話」も,終幕が近づいてきた。道具立てが整ったところで,本題に取り組むことにしよう。
トンネルや飛行機の中で,しばしば我々は耳が「キーン」とする感覚を覚える。これは外耳の空気(すなわち大気)圧が変化した結果,中耳の空気圧と差が生じて,鼓膜がどちらかに押されることによるものである。ちょうど,太鼓のヘッドを手で押さえて叩いているようなモノで,だから当然鼓膜の振動も小さくなる*7
この状態を改善するには,中耳を外に開いて,空気を出し入れしてやればよい。鼓膜を破るというのも一つの方法である*8が,中耳は第1咽頭溝の先端だから,中耳はもともと咽頭とつながっている。これを耳管と呼ぶが,要は第1咽頭溝そのものに他ならない。ヒトの耳管そのものはもはや完全に骨に包まれていてもはや開きっぱなしであるが,咽頭への開口部(耳管咽頭口)は粘膜に覆われている。したがって,その粘膜をどけてやれば,中耳に大気が入っていくことになる。もちろん,それをする筋はエラの筋ではない。だが,その機能は,魚たちがエラの筋で行っているそれの意味するところと,何ら変わらない。
彼らがエラを閉じるように,我々は噛み,吸い,耳の穴を閉じる。だが,それらは全て,それとは知らず作り出されたエラのエラによるエラのための構造がもたらした,原始の咀嚼なのである。
References

  1. ヤツメウナギはおっぱい星人を夢に見るか?
  2. 頭頚部の発生(pdf)神戸大学電子図書館 e-learning 解剖学講義ノートより

*1:厳密に言えばコレは正しくない。ツチ骨より下の部分の下顎骨はなくなっていないからで,これをメッケル軟骨という。

*2:これを通常の軟骨内骨化に対して膜性骨化という。

*3:模造品だから,いろいろムリもある。例えば,皮下には皮神経や皮膚の血管が通っているわけだが,そこに後から骨を作れば,それらは骨に埋まってしまう。実際,下歯槽神経・動静脈は,骨の中(下顎管)を通っている。骨折時に損傷を受けやすいばかりか,その整復も難しい。

*4:これも膜内骨化でできる。

*5:神が医者なる職業を創造されたかどうかは分からないが,歯医者の方はおそらく,想像すらされなかったのだろう!

*6:そのどこがメリットなのかについては,次回触れることにする。

*7:つまり聞こえが悪くなる。

*8:中耳炎の治療として鼓膜を人為的に破る手術が,実際行われている。