かなしーおもちゃ

断っておくが,批判したいのではないただ,悲しいのである。
医学教育でのひとりごと 解剖実習中でも態度が改善しない一部の怠惰な医学生
http://nakaikeiji.livedoor.biz/archives/50585752.html
ここに書かれているような学生の存在は,悲しい。悲しいが,それは自分も日々経験しているコトだ。だから,悲しんではいられない。それよりももっと,この一節が私を悲しませる。

解剖学そのものは、基本的に興味を持ちにくい学問です。大量の、脈略のない単語を、それこそ、丸呑みするかのごとく記憶する感じです。もちろん、ある程度の工夫をすれば、興味深く、各知識を関係付けながら理解していくという楽しみもある程度はありますが、それは、ごく一部であり、どうしても、丸暗記しかない大量の知識です。いつ、その知識が必要になるかはわからないけれど、医学を学ぶ最初の段階で頭に入れておくと、生理学、病理学、内科学、外科学と、医学学習を深め、対象を広めていく過程で、必ず必要になる知識なのです。

もう一度言うけれど,批判したいのではない。ぷーさん先生は「必ず必要になる知識」としての解剖学を,こんなにも重要だと思って下さっているのだ。その実習に真摯に取り組まない学生の存在を,真剣に憂いて下さっているのだ。それはとてもありがたく,励まされることだ。
だけど,そんな教育者にとってもなお,解剖学は「基本的に興味を持ちにくい」もので,「大量の、脈略のない単語を、それこそ、丸呑みするかのごとく記憶する」ものだという。「どうしても、丸暗記しかない大量の知識」なのだという。要は,「 解剖学はイヤなものだ」ということが,前提にされているのだ。こんなにも真面目で熱心な,医学教育を専門とされている先生にも,だ。
そのことが,私を悲しませる。
思い返せばかつて医学生であった私にとっても,解剖学はこの上なく苦痛な代物だった。できればこんなモノには二度と触れまいと思っていたし,触れずに済むだろうと思っていた*1。だから,そういうモノとして解剖学をとらえている医師が多いことは知っているし,理解もできる。
だけど,私は今,その解剖学をやっている。イヤなことを避けたいのは,今も昔も変らない。ただ,やっている以上は,「イヤなものだ」とは思いたくないし,思っていない。今,私にとって解剖学は面白いもので,だからこそ続けられるのだ。そして,私は信じている。解剖学は誰にでもとは言わないまでも多くの人にも面白いと感じられるモノに違いないと。だからこそ,かつてあれほどイヤだった解剖学を学生に「押し付ける」ことにも堪えられるのだ。
そうして,こんなコトも思うのだ。必要だろうが何だろうが,そもそもイヤイヤやったコトなんて,大して後に残りはしないだろうと。そんなことは,私が発見したことでも何でもなく,2千年も前から知られていたことだ。孔子だって言っているのだ。

これを知る者はこれを好む者に如かず。 これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。
学びて思わざれば則ち罔し。思いて学ばざれば則ち殆し。

ドイツ語が嫌いだった。生化学が大嫌いだった。神経内科学が超嫌いだった。そして,私は疑問だった。こんなにもつまらんドイツ語を,何であんなにもニコニコ講義できるんだろうかと。臨床を学ぶには生化学が必要らしいけど,臨床をやっていない教授に何でそれが分かるんだろうかと。神経診断はどの科に行ってもやるらしいけど,だったらなんで神経診断の専門家がいるんだろうかと。
今の私なら,その答えは分かる。分かるけど,当時の私と話をしたとしても,彼にそれらを勉強させることは,とてもできそうもない。なぜ勉強しなかったのかと言えば,要するに面白くなかったからで,必要性を感じなかったからではない*2からだ。とても悔やまれることだ。だけど,悔やむのは勉強しなかったことではない。今からだって,勉強したければすればいいのだ。本当に残念なのは,その面白さに気づくことができなかったことだ。そして,やってみなければ面白いもつまらないもない*3というたったそれだけのことに,あれだけ学生をやって思い至らなかったことだ。
当時の私に,「解剖学は必要だ」とは言いたくない。言えば喧嘩になるのは目に見えている。だから代わりに,こう言ってやりたいと思う。「必要だ必要だって言うけど,解剖だって生化だって,本音はみんな楽しいからやってるんだよ」と。そう言っても喧嘩にならないだけで,彼にはとてもそうは思えないだろう*4。でも彼は少しだけ,嫌いな科目にも面白い所を探そうとするだろう。そうしてドイツ語も生化学も神経内科学も,少しはマシになるだろう。それが学ぶ能力なのだと,私は思う。当時の私はいないけど,そんな医学生なら今でも石を投げれば当たる*5。だから,代わりにこう願う。時にはヒトの体より重く感じられるメスやピンセットだけど,「何でヤツはあんな楽しそうに解剖やるんだろう」と不思議がられたい。放り投げたいほど分厚く難しい教科書だけど,「何でヤツはあんな嬉しそうに解剖学を話すんだろう」と怪しまれたい。そして,それが自分の本当の姿でありたいと,あり続けられるようにと,私は願う。だから今日も,私は解剖し,勉強し,ブログを書いている。

*1:揚げ句留年し,触れざるを得なくなってしまったのだが。

*2:確かに今ほどは感じていなかったかも知れないけれど。

*3:どんな面白いことだって,「試験勉強」のつまらなさ苦しさには勝てっこない!

*4:先生方がその「教育」が好きだったかは,正直疑問だ。

*5:「投げなきゃ当たらない」というのは,当たり前のようで深い教育学的真理だ。